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2009年 11月 26日
<劇場法> ■金森 17歳でスイス・ローザンヌにわたり、19歳でオランダの、国を代表する舞踊団の一員として活動し、そのあとリヨンでフランスを代表する舞踊家として活動してきた。 その街を代表する劇場の舞踊家、という存在を意識してきた。タクシーに乗っても、「なにやってるんだい」と聞かれて「劇場で舞踊家をやっている」と答えると「あそこの劇場はすばらしい」というような答えが返ってくるのがあたりまえ。 それが新潟に来て、劇場のことを不動産屋さんも知らないし、タクシーも知らないような社会、そんな町で、なんでこんなに素晴らしい劇場が経っているんだろう?と不思議に思った。驚いた。 この距離感が埋まらない限り、伝えようがないのではないかと思って、劇場の内外の人に会いに行って、劇場が開かれている場所であるということをつづけて話してきた。それを6年間続けている。 プロの前段階のジュニアカンパニーをつくって、市内県内での公演・ワークショップ、学校にいったりもしている。 1専門家として、こういったことを提言することはできるが、事業として、行政で行ってもらわないとできない。興味がある先生がいても、校長にあげて、行政と話をして、とか時間がかかる。 行政が事業を進めて、「Noismさん行ってください」と言ってほしい。 専門家がいるからできうrこと、専門家によってしか伝えられないこと精神、税金で新潟に住んでいるからできることをやっているということを分かってほしい。 その拠点としての劇場に特化した法律、として劇場法のことを理解している。 ■平田 Noismは新潟から国内ツアーや海外ツアーを行っている。 劇場はものをつくる場所。創造・発信→市外県外海外に。 劇場でつくって成功した作品には資金を回収する可能性がある。また、市民にとって有形無形の財産にならなければならない。有形=資金のこと。無形=誇りのこと。 フランスのティヨンビルという田舎街でつくった私が作品(『別れの唄』=NHKでも放送された作品)。ちっちゃい国立の劇場で年間事業費は6000万しかない。そのうちの1500万をつかって制作した。 この作品がヒットして、翌年には8都市30ステージ、その翌年にまた20都市60ステージを上演した。売上が1億5000万。事業費を回収して、雇用を創出して、街の誇りを高めている。 劇場にいい芸術監督といいプロデューサーがいればこういうことができる。だいたい、金庫番のようなプロでデューサーがいて、やんちゃなアーティストが芸術監督になってもやっていける。 日本のことを考えた時に、コンテンツでフランスに負けるとは思わない。足りないのは、「教育システム」と「劇場の制作能力」。 また、劇場のミッションを受けて芸術家は仕事をするもの。だが、日本の劇場にはこのミッションがないから、金森さんのいっているように、日本のアーティストは、ミッションまで自分で考えなければならなくなってしまう。 劇場には教育担当プロデューサーもおいて、ワークショップのコーディネートなどをやるようにするべき。 いまの公立文化施設を「創る劇場」「観る劇場」「集会施設」の3つに分ける。 人材は「創る」なかでしか生まれてこない。 フランスの劇場では天下り官僚のような背広の人はみたことがない。 ■仲道 (すごく意訳) 音楽はポピュラーな分、すぐ安易に回ってしまう。ボランティア的になってしまって、アーティストが仕事にすることができない。 ■河村 博物館法、図書館法があるように、劇場法をつくらなければならない。 専門人材をどうおくか。 国と地方の役割はきちんと明記して、国は一定額の支援をきちんとおこなっていくべき。 ■鈴木 劇場法の法制化は可能。 劇場とはなにかを国が定義しなければならない。 以前コミュニティースクール法というのをつくったが、これも「コミュニティシアター」的なガバナンスのものにしないといけない。官立ではなく、地域立であり、「志民」立。 ■斉藤 文化芸術振興基本法ができたときに、次は個別法だという話だったのがいまになってしまった。 個別法=実演家の労災、年金共済、劇場法。 だが、みんなでつくっていく、ということ、国はしっかり支援する、という考え方をもつのに時間が必要だったことを考えるとこれも悪いことばかりではない。 いま、中央と地方の文化芸術格差はすごい。国が格差をなくすほうこう性でやることが必要。 国の責任を明確にする必要がある。 ■金森 出されるお金が、事業に対してなのか(たとえば教育に対してなのか)、人に対してなのか、なにに対してなのか定めることが大事。 いま、りゅーとぴあの舞踊部門では、人件費95%事業費5%という状態。他方、演劇部門、音楽部門はその劇場の事業費の3分の1(部門への割当)をそのまま全部事業費として使っているという違いがある。 Noismは、特別な予算ではなくて、使い方を変えているだけ、ということ。 劇場の中に芸術家がいることの有用性があるが、劇場法ということと、これがどうなるのか。 ■仲道 劇場を支える人がいて、そこにアーティストが呼ばれて、いっしょになにかをつくっている場があればよい。そこに重層的な支援があって。 ■平田 演劇・ダンス・音楽でそれぞれあり方は違う。 兵庫のピッコロ劇団も、県内でのワークショップなどをおこなっている。 パフォーマンス系の教育をやるとなったときに、劇場が劇団を抱えてしまった方がかえって安上がり。やる気のある先生に応じてアーティストを派遣するような体制。 <文化省> ■平田 国際ボランティア、観光、文化、スポーツをあわせて「平和文化省」という名前で再編するのがよいのではないかと個人的には思っていて、鳩山総理にも言っている。世界的にこんな名前の省もないのでアピールにもなる。 文化省ができてなにがいいかというと、文化政策のエキスパートがいまはいない。それで、日本のアーティストは自分で自分をまとめないといけなくなっている。 来年リヨンの高等師範で1ヶ月教えることになっている。リヨンには文化政策の科がある。19人いて、みな文化官僚になるが、最初の志望はみな劇場。そこから、官僚と大学教員にわかれる。 エリート臭がするフランスのシステムだが、いいところもあって、それは、大学時代に大哲学者と机をならべて勉強して、友達であるということがある。そういう環境がよい。 ■河村 平和文化省という名前はよいと思う。結局はすべて平和への貢献のためである。 文部科学大臣のときに海外に行くと、相手は、文化大臣だったり、スポーツ大臣だったりする。文部科学大臣はいろんなものを兼ねてしまっている。 オリンピックに列席するときも、IDには「スポーツ大臣」と書いてある。 文化については国境がないものだという視点をもつことが必要である。 ■鈴木 縦割りを越える=新政権の特徴である。 「コミュニケーション教育拠点」と「劇場法」は両輪だと考えている。 日本語で「劇場」というと場所や建物のことになってしまうが、本来のtheaterの意味に立ち返ればそこに「人」もいる。全部を含む。 劇場法だけど、人が大事。 === 以上です。いろいろフォローできてないところがありますのでご了承ください。 個人的には、金森さんの「なんでこんな街にこんな素晴らしい劇場が建っているのだろう」という言葉がすごく印象的でした。金森さんの実感を感じた気がしました。 あとは、オリザさんの「日露戦争以降の過ちをまた繰り返すのか。自国の産業構造の変化に自国で対処すべき」というのもすごく説得されました。「イギリスはもう大英帝国ではない」「日本はもうアジア唯一の先進国ではない」まさにそうだと思います。 河村さんの「文化に国境はない」というのは非常に重要な視点だと思います。とかく、「国vs民間」「首都圏vs地方」の図式の中で語られがちなこの問題ですが、いま、われわれが海外の人に誇れるのは、いま、われわれの国で起こっていることのすばらしさを見せて理解されることだ、という視点はとても重要だと考えます。それをはっきりとした形で、「感動」というダイレクトな回路で伝えられる、納得させられるのが、芸術の、ほかのものにはない強みです。 単に劇団単位の助成の短期的な部分だけでこの問題を云々するのではなくて、地域に根差した劇場と、そこから生み出される作品、そしてそれが地域の市民~全国の市民の財産になるしそもそも財産であるということを強く伝えていかなければならないというようなことを考えます。 また、産業構造の変化と共同体の崩壊の問題に対して、「シミュレーション」という機能を芸術に見出すのはこれもよくわかる話だなと思います。まあ、僕らはよくオリザさんから聞かされている話ですが。 演劇はある部分でつねに祝祭であり、その祝祭の底のなさと天井のなさが、人にある種の通過儀礼というか、戻れないなにかの体験を与えるところがある。その戻れなさの局面で、他者との協働とか、他者への配慮とか、そういったことが、実感をともなって、当事者の身体に刻まれると思います。実際、僕はそれをずっとつづけてると思うし、それは「創る」という局面を体験した人にはかならず与えられる種類の、有用な経験だと思ってます。 by psykholos | 2009-11-26 03:05 | 雑記
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