2011年 03月 13日
電力の問題で上演中止のほうが正しいという意見や、僕らが一時の感情に左右されているという意見に、上演を継続する僕らが非難されるのだけど。 僕が持っている電力供給システムの理解では、節電で「節約」できるのは水力発電だけだったと思う。 その他の多くの電力は、貯蔵ができないから、必要なだけ流れる。基本的に、流れの量の問題、瞬間瞬間の問題で、貯めておくことができない。 瞬間的に供給力を使用料が上回ってしまうと大停電になる。本質的には、電力供給が維持されるかどうか「瞬間」の問題だと、僕は理解している。 電力会社が節電を呼びかけるのは、利用者に意識してもらわないと「無駄な」「無配慮な」電力使用で瞬間的な使用量が上回る、その確率を下げるためだと思う。 供給量が需要を上回る確率が極めて高い場合には、供給する回路をとめて、発電機能を守るしかない。そのときは、節電呼びかけではなく、電力会社のほうでコントロールして停電をする。 いまのところ停電をしている地域は、電力が足りないから停電しているのではなく、地震によって設備が壊れているから、電力が回せない。 節電は設備が壊れていないところの中での供給量と需要の問題だ。 週明けから輪番停電が始まるだろう。電力会社がそれをコントロールする。 これは間違いない。 いま停電しているところの設備が修繕され、需要が増えるから。発電所に被害が出ている(しかも原子力発電の割合は水力発電の比ではなく相当大きい)以上、これは避けられない。 そして、発電所は復旧しない。 だとするとどうなるのか。当然、今後長い間、地震前と同じような電力供給量はできないという状態が続く。 いままでと同じ生活は、ある程度、できなくなる。 1日や2日の問題ではなく、1年2年の問題、いや、もっと長いかもしれない。半永久的に、3月10日までのような生活ができなくなる可能性だってある。 (電車の本数が減ったり、街のネオンが減ったりそういう判断もあるかもしれない) たぶん、いままでよりもスケールダウンした生活をせざるを得なくなって、心理的な疲労は蓄積するし、鬱に見舞われる人も出てくるだろう。 そういう大きな視野にたったとき、どうすればいいか、僕にはまだわからない。 Twitterをみていると、まだ、みんな、元気だけど、1時間の節電、そのあとに来る余震で、気持ちが下がった人もいたのではないだろうか。僕は、昨夜の余震に、かなりがっくりきた。 普段と違う動きをすると、心に負担がかかる。 直接の被災地でない私達には、それはじわじわやってくるだろう。 いまから、その準備をしなければならないと思う。 それは、昨日今日あしたのことではない。もっと長いスケールで、自分たちがどういう生活のリズムをつくっていくのか、ということだ。 昨日の節電で心が疲れた人は、早く普段の生活にもどったほうがいい。節電は被災地への直接の支援には、なっていない。 長いスパンで、東京で健康に自立して暮らす状態をキープすることも大事。 そのためには、これまでの日常に早く一度戻ってみることも大事。 とりあえず安全確保。これが行動の一番の基準。 輪番停電がやってくるとどうなるのだろう。3時間、電気が使えないということがどのくらいがっくり来るものなのか、不便なのか、今はわからない。不安だ。 そうしたなかで、演劇公演を続けるのがいいのか、悪いのか、僕にはよくわからない。そのことで疲労もしている。 ただ、1日2日の問題じゃない、ってことだけは眼に見えている。そうした中で、自分の生活リズムをどうしていくか考えたときに、とりあえず仕事をしている状態は、悪くない。 とりあえず、節電する人が、上演する我々に非難を浴びせるのは、お門違いだと思う。 もっと大きなことがすでに始まっているのだ。 アゴラ劇場なんかよりもすごくランニングコストがかかる劇場が、今日から次々と上演を再開する。 上演は、ある程度、続けることになるし、その必要がある。
by psykholos
| 2011-03-13 10:32
| 雑記
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